自由な意思

「自由な意思って存在すると思いますか?」という質問に対してはっきりと答えを言える人はいません。

この記事も、本当に自分の意思で書いているのかわかりません。

 

意思に自由があるのか、それとも操り人形のように人々は生きているのか。

 

意思に自由が無いとしたら、それはココロの存在を否定していることになります。僕たちが思うことは、本当に自分によって決定づけられたものだったのか。

 

普段、生活している中で「思ってもないことが行動に出た」という経験を必ずしています。その理由は単純で、自分の意識よりも先に行動が起こるから。

 

ココロは存在するものだと、僕は思います。しかし、ココロによって行動が変わることはありません。自分の意志は行動の後付けになっているからです。

 

ここで問題に上がるのが「犯罪」の話題です。

僕は殺すつもりで殺人したわけではない。僕が意識的にやったことではなく身体が勝手にやったことだから。

しかし、これには自由意志は存在しないが自由否定は存在するということで反論できます。

 

僕たちが持つ脳というのは「新哺乳類脳」と呼ばれるものです。その「新哺乳類脳」の特徴として、情動を自分で否定するというものがあります。

情動が起きたが、それを増幅させるかそれとも否定して抑え込むか。自由な意志が存在するとしたらここにあります。

 

 

ならば逆に、ココロを変えるために行動すれば良い、ということになります。

大抵の人が「意識を変えれば自ずと行動も変わるはずだ」と説教します。しかし、彼らとは真逆のことが実際に起こるのです。

 

ネガティブな気分でもその意識を変える必要はなく、行動を変えていけば良い。意識的に笑顔を作っていけば自ずとポジティブになれるということです。